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千葉地方裁判所佐倉支部 昭和49年(ワ)39号 判決

原告

篠原かん

ほか三名

被告

吉出薫

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の申立て

一  原告ら

1  被告は原告篠原かんに対し金一八五万一、五二二円、その余の被告らに対してそれぞれ一〇六万七、六八一円、および右各金員に対し昭和五〇年七月八日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決および仮執行の宣言。

二  被告

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  本件事故の発生

日時 昭和四七年二月二二日午後五時ころ

場所 千葉県印旛郡富里村十倉六八六番地先通称ハニワ台団地丁字形交差点

加害車両 軽四輪貨物自動車(六千葉ね五五―五一号)

被害車両 原動機付自転車

被害 原動機付自転車を運転していた訴外篠原廣が両側硬膜下血腫、脳挫創のため同月二六日午後六時五五分ころ成田赤十字病院において死亡。

事故の態様 被害者亡廣は、被害車両を運転して小橋台方面から富里村実ノ口方面に向けて本件交差点を直進して通過しようとしたところ、その前方に同方向に向けて進行していた被告運転の加害車両が、本件交差点をハニワ台団地の方向へ右折した際に、接触して本件事故が発生した。

2  責任原因

本件加害車両である軽四輪貨物自動車は被告の所有であるから、被告は原告らに対し後記の損害を賠償する責任がある。

3  損害

(一) 亡廣の逸失利益

亡廣は大正五年九月二日生れで死亡時五五歳であつた。亡廣は生来強健で、生前水田二反歩、畑一町五反歩山林一反歩を所有し、長男である原告達雄夫婦と共に農業を営み、年間収入は金一二〇万円あつた。しかし、亡廣の右収入に対する貢献度を評価するのは困難であるので、一般産業労務者が労働によつて得る賃金を標準として同人の逸失利益を計算することとする。今日一般農業労務者の得べき最低賃金は一日平均金三、〇〇〇円である。因みに、千葉県農業会議のまとめた千葉県下における農業労働者の一日の労働賃金は平均金三、五〇〇円であることからして、一日当り金三、〇〇〇円は相当な金額であることは千葉県富里村においては顕著な事実である。そして、亡廣が本件事故後なお少なくとも九年間は農業労働に従することができたものである。亡廣は、年間三〇〇日間(月間二五日間)稼働したものとすると年間金九〇万円の収入があり、その間の生活費を金三〇万円とすると年間の純収入は金六〇万円である。これにより、本件事故時における九年間の逸失利益をホフマン式計算方法により年五分の割合による中間利息を控除して計算すると金三七二万四、一〇〇円となる。

(二) 亡広の慰謝料

本件事故により死亡した亡廣の固有の慰謝料としては金一〇〇万円をもつて相当とする。

(三) 原告らの慰謝料

原告かんは亡廣の妻であり、その余の原告らは亡廣の子である。原告らは亡廣の急死により多大の精神的苦痛を受けたので、原告かんについては金一〇〇万円、その余の原告については各金五〇万円の慰謝料をもつて相当と認める。

4  損益相殺および相続

被告の運転していた車両は自賠責保険契約がなされていなかつたので、政府から金二一三万四、五三二円が支給されたほか、被告から見舞金として金三万円、香料として金五、〇〇〇円が支払われたので、これらを亡廣の前記逸失利益金三七二万四、一〇〇円に充当すると、逸失利益の残額は金一五五万四、五六八円となる。これに亡廣固有の慰謝料金一〇〇万円を加えると、亡廣の損害残金は金二五五万四、五六八円となる。これを原告らが各相続分に応じて相続したものであるから、その各相続分は、原告かんについてはその三分の一の金八五万一、五二二円(円未満切捨)、その余の原告らは各金五六万七、六八一円(円未満切捨)となる。

5  よつて、原告らは被告に対し、原告かんについては金一八五万一、五二二円、その余の原告らについてはそれぞれ金一〇六万七、六八一円および右各金員につき本件訴訟の「訴の変更の申立」書の陳述された日の翌日である昭和五〇年七月八日から民法所定の年六分の割合による金員の支払いを求める。

二  答弁

1  請求原因1の事実は認める。ただし、傷害の部位内容は不知。

2  同2の事実は不知、被告の責任は不知。

3  同3(一)の事実中、亡廣の稼働年数は否認する。その余の事実は不知。同3(二)は争う。同3(三)の事実のうち、原告かんが亡廣の妻であることは認めるが、その余は不知、慰謝料の額は争う。

4  同4の事実中、政府から金二一三万四、五三二円が支給されたことは認める。その余の事実は不知。

5  同5は争う。

三  抗弁

1  自賠法三条但書の免責

(一) 本件事故は亡廣の一方的な過失によるものである。本件事故は次のような経過により生じた。

被告は、本件事故現場の交差点の手前約三〇メートルないし五〇メートルの地点から方向指示器により右折の合図をしながら道路(幅員六メートル)左側中央寄りを進行していたところ、被告の進行する道路と交差する道路(幅員三メートル)から訴外細淵清が軽四輪貨物自動車を運転して本件交差点の手前約三〇メートルの地点で左折の合図をしながら進行してきた。そこで、被告は本件交差点へ細淵より先に進入するところ、本件交差点の手前約五ないし六メートルの地点で右折の合図を続けたまま停止して細淵が右交差点を左折して通過するのを待つていた。このときの被告車の停止した位置は運転席が道路中央から約五〇センチメートル左側になるぐらいのところで、すでに車体も少し右に向いていた。細淵の車は左折して被告車の側方を通過していつたが、そのときの両車の間隔は約三〇センチメートルないし四〇センチメートルであつた。その後被告は前方、右方の安全を確認し、さらに後方の安全もバツクミラーで確認したうえ、右折を継続しはじめ、約五メートル進行したところで、亡廣が高速で運転する原動機付自転車を発見し、あわてて急制動の措置をとつたが間に合わず、亡廣の原動機付自転車の左ハンドルが被告車の右方向指示器付近に接触し、亡廣は路上に投げ出された。接触したときの被告車の位置は停止していた位置から約六ないし七メートルの地点であり、道路中央から約一メートル右側に入つた地点で、被告車の方向も右斜めを向いていた。なお、被告および亡廣の進行してきた道路は直線で見通しも良好であり、亡廣は細淵の車両も見えたはずである。

右のような事情から判断して、被告は本件交差点手前で停止したとき、すでに道路の中央により右折の態勢に入つており、被告の方に交差点通過の優先権があり(道路交通法三四条五項)、後方の安全確認も十分であるから、右折の方法に過失はない。むしろ、亡廣は、被告車が右折の態勢に入つてから一旦停止し、細淵の車が側方通過してのち、再び右折をはじめるまでの時間的経過からして、当然に被告車が右折するであろうことは予見しえたはずであるし、また交差点内での追越しは禁止されていることからして、本件事故の原因はすべて亡廣にある。

(二) また、本件事故当時、被告車には構造上の欠陥、機能の障害はなかつた。

2  過失相殺

かりに被告になんらかの落度があるとしても、前記のような事故の経過からして、被告の落度は一割である。

3  示談契約

被告と原告らとは本件事故直後から間に人を立てて示談交渉をしてきたが、原告らは昭和四七年五月二日ころ被告に政府の自動車損害賠償保障事業に対して填補額の請求をするから(被告の自動車は自賠責の保険契約をしていなかつた。)それに同意してくれと言い出し、さらに昭和四八年八月末ころ、被告が原告かん宅において金二〇〇万円を支払う旨申し出でたところ、原告らの代理人市川泰秀は原告らの同意のもとに右申し出でを拒否し、政府の自動車損害賠償保障事業に対して填補額の請求をする旨主張した。そして、右市川は被告に対して右填補額がいくらになろうとも、それ以上は請求しないから同意してくれといつたので、止むなく被告もそれに同意した。ここに原告らと被告との間に本件事故の損害については原告らは政府の自動車損害賠償保障事業に対してのみ請求し、その填補額がいくらであろうとも、それ以外に被告に対して請求しないとの趣旨の示談契約が成立した。そして、同年七月七日ころ政府から原告らに対し金二一三万四、五三二円が支払われた。したがつて、原告らの右金額をこえた請求である本訴請求は前記示談契約に反する不当なものである。

四  抗弁に対する認否

1  自賠法三条但書の免責は否認する。本件事故当時亡廣は被告車の後方約一〇メートルないし二〇メートル付近を時速約三〇キロメートルの速度で進行していたところ先行する被告車が右折のため徐行ののち道路左端に停止した。そこで、亡廣は被告車の右側を追い越そうとして進行したところ、被告車がいきなり右折を開始したがために、亡廣の運転する原動機付自転車が被告車の右前部に接触して、本件事故が発生したものである。被告には、本件交差点において右折するに際し、あらかじめ道路の中央によらず、また後方の安全を確認しなかつた点に過失がある。

2  過失相殺については争う。亡廣が交差点内で追い越しをしたのは被告車が急に右折を開始して、亡廣の進路を妨害したために、やむなくとつた措置であり、かりに、亡廣に過失があるとしても三割である。

3  示談契約の成立については否認する。

第三証拠〔略〕

理由

一  請求原因1の本件事故が発生したことは、当事者間に争いがなく、ただ成立に争いのない甲第四号証によれば、亡廣の死因は両側急硬膜下血腫、脳挫傷であることが認められる。

二  成立に争いのない甲第七号証によれば、被告が本件事故当時運転していた車両は被告の所有であり、かつ自己のために運行に供していたものであることが認められる。したがつて、被告は自賠法三条の運行供用者である。

三  そこで、被告が本件事故に関し運行供用者としての責任があるかいなかについて検討する。

成立に争いのない甲第五号証、検証の結果によれば、本件事故現場である通称ハニワ台団地入口丁字形交差点は、富里村二区小橋台方面から富里村実ノ口方面に通ずる幅員六メートルの道路(以下甲道路という。)と芝山町新井田ハニワ台団地に北方に通ずる幅員三メートルの道路(以下乙道路という。)とが直角に交差する丁字形交差点であり、甲道路および乙道路とも直線で見通しは良好であり、両道路とも路面は砂利道で多少の凸凹はあるが、ほぼ平坦であり、右交差点においては交通整理は行なわれていないことが認められ、右認定に反する証拠はない。証人細淵清の証言および被告本人尋問の結果によれば、本件事故の経緯は、被告が軽四輪貨物自動車を運転して甲道路を東方から西方へ進行し、本件交差点を北方へ右折しようとしたところ、北方の乙道路から本件交差点を左折しようとして進行してくる細淵清が運転する軽四輪貨物自動車を発見したので、細淵車を先に左折させるために本件交差点の手前で方向指示器(ウインカー)で右折の合図をしながら、交差点の手前で一時停止をし、細淵車の通過を待ち、その後右折を開始したところ、被告車の右後方から進行してきた亡廣の運転する原動機付自転車が被告車の右前部に接触したものであることが認められ、右認定に反する証拠はない。ところで、被告は本件事故により捜査機関の取調べを受けたものであるが、被告は、成立に争いのない甲第七号証(被告の司法警察職員に対する供述調書)、甲第五号証(実況見分調書)によれば、被告が右折しようとして本件交差点の手前で一時停止した位置は、交差点の手前の甲道路の左端で衝突地点である交差点のほぼ中央から七・二メートルの地点である旨供述、もしくは指示説明している。しかるに、被告は被告本人尋問および検証の際の指示説明においては被告が本件交差点の手前で一時停止した地点は、甲道路の中央寄りで甲道路の左端と運転席との距離は二メートルの地点で、しかも、交差点からの距離は実況見分の際の指示説明よりもより交差点に近い地点である旨のべている。被告が捜査段階と本訴の証拠調べの段階とで異つた供述もしくは指示説明をした理由については、被告は、死亡事故になつて気が転倒していたし、実況見分も短時間(甲第五号証によれば事故当日の午後五時五〇分から午後七時二〇分まで)で終つたからであると、その理由をのべている。本件事故の目撃者で本件事故当時本件交差点を左折しようとしていた前記細淵清は検察官に対する供述調書で成立に争いのない乙第三号証において、被告車は本件交差点の甲道路上の入口付近で甲道路の左端ではなく、少し中央に寄つた方の地点で左折の合図をしながら停止していたと供述しており、また同人は、被告車は道路の中央から五〇センチメートル位の地点に被告車の運転席が位置するところに停車しており、同人が左折して被告車とすれちがつた際の両車の運転席の距離は約一メートルで、車体と車体との距離は三〇ないし四〇センチメートル位であつたとのべている。細淵清は前記検察官に対する供述調書に先立つ司法警察員に対する供述調書(乙第四号証)においては、被告車は甲道路の左端に停止していた旨供述しているが、この点は右のように訂正されたものと推定される。そうすると、同人の検察官に対する供述調書(乙第三号証)における供述および証言を措信しない事情は他に見当らず、被告の本人尋問および検証における指示説明もほぼそれらにそうものであるから、結局のところ、被告の司法警察職員に対する供述調書(甲第七号証)における供述および実況見分調書(甲第五号証)における指示説明は措信しない。右のような証拠関係からすると、被告車は少なくとも道路中央から一メートルの地点にその運転席が位置するところに停止していたことになり、これに車体の右側面までの距離(細淵清の証言によると約三〇センチメートル)を考慮すると、被告車は道路中央から車体の右側面までの距離が約七〇センチメートルの位置に停止していたことになる。この位置が道路交通法三四条二項にいうところの「できる限り中央に寄り」ということに該当するかどうかは、諸般の事情を考慮する必要があるが、被告が右折しようとした乙道路が幅員三メートルという比較的狭い道路であること、左折しようとしていた細淵車の左折を容易ならしめるために多少待避しなければならない状況にあつたことを考慮すると、「できる限り道路の中央に寄り」ということに該当するといえる。本件証拠上亡廣の速度がどの程度であつたかは必ずしも明らかでないが、被告車が右折前に一時停止し、細淵車とすれちがうまでには相当の時間的経過があつたであろうし(細淵清の証言によれば、同人が右折の合図をしている被告車を約五〇メートル先に発見してすれちがうまでに三〇秒位要したと証言している。)、しかも、被告車は右折の合図をしており、しかも同証言によれば、被告車は車体をやや右向きにして停止していたものであることを考慮すれば、亡廣とすれば被告車が本件交差点を右折するために一時停止していることおよび左折する細淵車とすれちがつたのちはただちに被告車は右折を開始するであろうことは当然予測しえたはずである。しかるに亡廣はどういうわけか、被告車が右折しようとする進路にその後方から進行してきて接触したものである。接触地点は、検証の結果によれば被告車が停止していた地点から右斜め前方約六・八メートル弱の地点で甲道路南側側端から三・九五メートルの対向車線上の交差点内である。この接触地点からして、亡廣は被告車を追越そうとしたものと推認され、交差点内での追越しという交通法規を無視した行為である。本件被告のように、道路中央より若干左側から右折の合図をしながら右折しようとする場合、後方からくる他の車両の運転車が交通法規を守り、自車の右折を妨げないような速度と方法で進行するであろうことを信頼して運転すれば足り、亡廣のように交通法規に違反して追越しをはかる車両のあることまで予想して、後方に対する安全を確認して、事故の発生を未然に防止すべき注意義務はない。したがつて、本件事故は亡廣の一方的過失によることが明らかである。そして、本件事故の態様からして、事故に因果関係のあるものとしては、方向指示器が正常に作動していたかどうかの点であるが、方向指示器が正常に作動していたことは、前認定のとおりであり、機能上、構造上の欠陥はなく、第三者に故意、過失があつたとも考えられない。

四  以上に認定したように、本件事故については、自賠法三条但書の要件が満たされているので、被告には本件事故の責任はない。そうすると、その余の点を判断するまでもなく、原告らの請求はすべて理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 政清光博)

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